▶江戸の夏の噺といえば、このえんもく。いきな言葉遣いで失敗する庶民の笑い、ご存知ですか?
江戸の夏の噺といえば、このえんもく。いきな言葉遣いで失敗する庶民の笑い、ご存知ですか?
教訓
真似ることと本物は違う
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古典落語『青菜』。夏の噺の代名詞として、江戸落語・上方落語ともに高座でたびたび演じられてきた滑稽噺です。作者は特定されていませんが、えどじだいこうきから庶民の笑いを支えてきた、息の長い演目のひとつです。 この噺の舞台は真夏の江戸。ただ笑えるだけでなく、江戸の庶民が憧れた「いき」という美意識、そして見栄と失敗が織りなす人間の愛らしさを描いた作品です。夏の暑さを吹き飛ばす笑いの中に、江戸っ子の気質がぎゅっと詰まっています。 注目してほしいのは、この噺の二段構造です。ぜんはんは旦那の家でのいきなやりとり。そしてこうはんは植木屋が自分の長屋でそれを真似しようとする、愛すべき失敗の連鎖です。この「憧れの模倣」という構図が、笑いの核心にあります。 もうひとつ覚えておきたいのが、旦那が使う特別な言葉です。「柳陰」は焼酎とみりんを合わせた夏の酒。そして奥様が席を外す際の「鞘当」という言葉——これは刀の鞘が当たるほど狭い場所、転じて『奥へ引っ込んでおいで』という意味のいきな言い回しです。こういった江戸特有の言葉遊びがこの噺の醍醐味です。 真夏の盛り。植木屋の職人が、ある裕福な旦那の屋敷で庭仕事に励んでいました。照りつける日差しの中、汗だくになって木々を手入れするその姿は、いかにも江戸の職人らしい。仕事を終えた頃、旦那が声をかけてきました。 「暑いところご苦労だった。よかったらこれでも一杯やっておくれ」と旦那。縁側に招かれた植木屋に差し出されたのは、柳陰という夏の酒。焼酎にみりんを合わせた、ひんやりとした一杯でした。職人には過ぎた丁寧なもてなしに、植木屋はすっかり恐縮してしまいます。 そこへ奥から使いの者が来て、今日のおかずに青菜の煮びたしをどうぞ、と持ってきました。すると旦那はさらりと一言。「菜は置いといておあがり」。つまり自分はいらないから、持っていきなさいという意味です。その言い回しの洒落た軽さに、植木屋はすっかり打たれてしまいました。 さらに奥様が挨拶に出てこようとすると、旦那は静かに手を上げてこう言いました。「鞘当だ、お部屋へ」。刀の鞘が当たりそうなほど狭い場所、だから奥へ引っ込んでいなさい——という、いきの極みのような言い回しです。植木屋は感激のあまり、もはや呆然とするばかりでした。 仕事を終えて長屋にかえりついた植木屋。頭の中はあの旦那の言葉でいっぱいです。「よし、俺も今日こそいきなところを見せてやろう」と心に決めました。亭主が急に張り切り始めたので、女房はわけが分からず首をかしげています。 植木屋は女房に段取りを言い含めます。「いいか、俺が合図したら青菜を持ってこい。そしたらあとは俺の言う通りにしてくれ」。女房はよく分からないまま、渋々承知しました。植木屋はいそいそと縁台にこしをおろし、旦那の真似をして澄ました顔を作り始めます。 女房が青菜の小鉢を持ってくると、植木屋はもったいぶって手を上げました。「菜は……置いといておあがり」。しかし女房は首をひねるばかり。旦那の屋敷では通じたこの言葉も、長屋の狭い土間ではどこかまがぬけて聞こえます。 続いて植木屋は女房に向かって「鞘当だ、奥に」とやりました。ところが長屋に「おへや」などというものはありません。女房が途方に暮れていると、植木屋はこごえで「押し入れに入っといてくれ」と耳打ちします。女房はしぶしぶ押し入れに入りました。 夏の盛りの押し入れの中というのは、地獄のような暑さです。女房は汗だくになりながら中でうずくまっています。「いったいどのくらい入っていればいいんだい」と思いながらも、亭主の手前、じっと我慢しています。 そこへ近所の男が訪ねてきました。「おい、今日は仕事どうだった? ごりょうにんさんはいるか?」と尋ねます。植木屋は慌てながらも、あくまでいきを装って「いや、いまは……鞘当で」などとごまかそうとしますが、うまくいきません。 するとその時、押し入れの中からくぐもった声がしました。「ちょいと、あたしゃいったいいつまでここにいりゃいいんだよ! 暑くてもう死にそうだよ!」。扉がガラリと開いて、汗だくの女房が飛び出してきました。植木屋のいきな演出は、ここに完全に崩れ落ちたのでした。 古典落語『青菜』。旦那のいきな言葉に憧れ、見よう見まねで真似しようとした植木屋の大失敗。この噺が今も愛され続けるのは、背伸びをして格好をつけたくなる人間の普遍的な愛らしさを、笑いの中に包んでいるからではないでしょうか。夏の高座でこの噺を聴けば、暑さも少しふきとぶはずです。ぜひ機会があれば、実際の高座で味わってみてください。