▶芋だわらの中には、泥棒が隠れていた。そこへ腹をすかせた小僧が、芋を盗みにやって来る。
ちえものたちの計画を狂わせた、まさかの出来事とは
教訓
計画も運も、一瞬で変わる
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古典落語『芋俵』。成立年代は定かではありませんが、江戸時代から演じ継がれてきた滑稽噺のひとつです。泥棒が主役の「泥棒噺」という噺のジャンルに属し、笑いのなかに江戸庶民の機知と間抜けさが詰め込まれた一席です。玄人好みの演目としても知られ、噺家それぞれの個性が存分に発揮される演目でもあります。 この噺の核心は、芋俵のなかに人を隠して商家に忍び込ませるという奇妙な仕掛けにあります。計画は入念に練られていましたが、思いもよらぬ偶然によって、まったく予想外の方向へ転がっていきます。笑いは計画の綻びではなく、誰も予想できなかった巡り合わせから生まれるのです。 この噺で注目していただきたいのは、登場人物それぞれが「自分だけの事情」で動いていることです。泥棒は盗みの計画を進め、松公は何が起きているかもわからず、小僧の定吉は芋を食べたいだけ。誰ひとり全体像を把握していない——その「すれ違い」がオチへの伏線になっています。 計画を立てたのは策略家の兄貴分でした。芋俵のなかに誰かを隠して商家に預け、夜中になったら中から戸締まりを外して仲間を招き入れる——手際のいい仕掛けです。ただし芋俵を天秤棒で担ぐには、前後で二人の手が要ります。兄貴分と弟分は、その担ぎ手として動くことになりました。となると、たわらのなかを務める「もうひとり」が新たに必要になります。 ちょうどそこへ通りかかったのが、お人好しで少々おっちょこちょいな松公でした。兄貴分は「分け前をやるから」とうまいことを言って誘い、松公は半信半疑ながらもその気になります。こうして松公は、自分からたわらのなかへと収まっていきました。 兄貴分と弟分は芋俵を天秤棒で担ぎ、商家の店先までやってきます。芋売りの商人を装った兄貴分が「芋を預かっていただけますか」と愛想よく頼み込み、たわらは土間にどんと置かれました。用が済むと二人はそのまま立ち去っていきます。なかの松公は、じっと息をひそめていました。 店じまいの片づけで、さだきちが芋俵を土間の隅へ転がして立てかけようとしました。ところがちからかげんを誤り、たわらはごろりとひっくり返ってしまいます。なかの松公は逆さまになり、身動きも取れずにじっと堪えるしかありません。やがて店の者たちが奥へ引き上げると、土間はひっそりと静まり返りました。 その夜、空腹に耐えかねた定吉は、おきよどんを誘ってこっそり土間へ忍び込みました。「たわらに芋があるじゃないか、少しくらいいただいても…」と、暗がりのなかでたわらに近づいていきます。主人に見つかったら一大事ですが、お腹が言うことを聞きません。 暗い土間で定吉とおきよどんが手を突っ込むと、触れたものがどうもおかしい。ぐにゃぐにゃしていて、やわらかく、温かい。「腐っているのか、それとも焼き芋になっているのか」と、二人はしきりと首をかしげながら、手でなでまわしました。 二人になでまわされ続けた松公は、もはや限界でした。じっと堪えていましたが、ついにこらえきれず、たわらのなかで大きな音を立ててしまいます。暗い土間に、その音がブッと響き渡りました。 定吉はその音をきいて、ちょっと首をかしげました。そしてまがおでこう言いました——「気の早いお芋だ」。芋がおならをしたと思い込んだ定吉の、まったく悪意のない一言。それが客席にどっと笑いを呼ぶ、この噺のオチです。 『芋俵』の面白さをまとめます。ポイントは2つです。1つ目は、緻密に練られた盗みの計画が、まったく無関係な偶然によって崩れていく可笑しさ。芋俵に隠れた松公と、空腹の定吉——出会うはずのなかった二つの事情が、思いがけずぶつかり合うところに、この噺の面白さがあります。2つ目は、定吉の「気の早いお芋だ」というオチの妙。定吉は何も知らず、ただ素直に反応しているだけです。知らぬが仏という言葉がありますが、この噺では「知らない人間」こそが最大の笑いを生みます。実際の高座では、噺家が定吉のとぼけた表情と、あの一言を言い放つ、まのとりかたに個性を出します。ぜひ音源や高座で、その絶妙な「溜め」を味わってみてください。