▶遊びを知らない真面目な若旦那が、くるわへ連れ込まれた夜、何が起きたでしょうか
遊びを知らない真面目な若旦那が、くるわへ連れ込まれた夜、何が起きたでしょうか
教訓
素直さが最強の武器
ナレーション全文を読む
古典落語「明烏」。江戸・上方双方で長く演じられてきた、廓噺の代表的な一席です。廓噺とは遊郭を舞台にした落語のジャンルで、明烏はその中でも特に人気の高い演目として、多くの噺家が手がけてきました。舞台は江戸、日本橋田所町。江戸後期の、活気ある商人の町です。 この噺の主人公は、大店の若旦那・時次郎。本ばかり読んでいる生真面目な青年で、遊びごとは一切知らない堅物です。父親はそんな息子を案じ、このままでは世間が渡れないと心配しています。世間知らずの息子に、人間の機微というものを教えたい。そう思った父親が取った行動が、この噺の発端になります。 この噺を聴くうえで注目してほしいのは、「脅す台詞」の使われ方です。源兵衛と太助が時次郎を廓へ連れ込むときに使う言葉が、翌朝そっくりそのまま時次郎自身の口から返ってきます。同じ台詞が、立場が入れ替わることで全く違う意味を持つ。この対称構造が、このオチの切れ味を生んでいます。 時次郎の父親は、町内のあそびにんとして知られる源兵衛と太助の二人に頭を下げます。「うちの倅を吉原へ連れて行って、遊びというものを覚えさせてやってほしい」と。遊びを覚えさせるために親が頭を下げる——江戸らしいおおらかな子育て論です。二人は喜んで引き受けます。 源兵衛と太助は時次郎に「お稲荷様へ、夜通し祈願のお籠りに行きましょう」と声をかけます。信心深い時次郎は疑いもせず、二人について歩き出しました。しかし歩いているうちに、どうも様子がおかしい。参道にしては艶やかすぎる灯りと、行き交う人々の華美な装い。時次郎は首をかしげながらも二人に引っ張られるようにして進んでいきます。 大きな黒塗りの門が目の前に現れたとき、時次郎はようやく気づきます。「こ、ここは吉原ではないですか!」と真っ青になって逃げようとしますが、源兵衛と太助はにやりと笑って引き止めます。「今さら一人では帰れませんよ。大門では出入りする人数を数えていますから、あなた一人だけ先に出ようとしても、すぐに引き止められてしまいますよ」——この台詞が、のちに鮮やかに回収されます。進退窮まった時次郎は、渋々廓の中へ足を踏み入れます。 廓の座敷に通された時次郎は、花魁の浦里と向き合わされます。場慣れしたあそびにんでさえ緊張する場ですが、時次郎はもっと困惑しています。ぶっきらぼうな返事、どこを見ていいかわからない視線——それでも浦里はその様子を見て、ふと表情をほころばせます。あけすけな馴れ馴れしさより、この初心で誠実な様子が、かえって新鮮に映ったのでしょう。 浦里は自ら進んで時次郎の相手を務めることにします。嘘のない言葉、まっすぐすぎるほど誠実な態度——そういうものが、花魁という仕事で世慣れた浦里の心を動かしたのかもしれません。夜が更けるにつれ、時次郎の表情も少しずつほぐれていきます。吉原の一夜は、堅物の若旦那にとって、生まれて初めての経験となりました。 うらざとは夜通し、手厚く時次郎をもてなしました。やがて障子の向こうが白みはじめ、明け方の気配が漂ってきます。外では烏の声が聞こえ始める——演目の題名「明烏」が示すのは、まさにこの夜明けの瞬間です。昨夜まで本しか知らなかった若旦那は、今や布団の中でまったく別の顔をしていました。 翌朝、迎えに来た源兵衛と太助が時次郎の部屋を覗いて、二人は目を丸くします。昨夜まで震えていた若旦那が、浦里と枕を並べて上気した顔で布団にくるまり、まったく出てこようとしないのです。「さあ、お帰りの時間ですよ」と声をかけても、時次郎はむしろのんびりした顔で二人を見上げるだけ。遊びを教えに来た二人が、完全に形勢を失っていました。 呆れた源兵衛が「そんなに動かないなら、私たちだけ先に帰りますよ」と言い放ちます。ところが時次郎は涼しい顔で、ゆっくりと口を開きます。昨夜、自分が言われた言葉をそっくり返す番が来ました。 「帰れるものなら帰ってごらんなさい。大門では出入りする人数を数えていますから、あなた方だけ先に出ようとしても、すぐに引き止められてしまいますよ」——昨夜、二人が時次郎を廓へ引き込むために使ったその言葉を、時次郎はそのまま二人に向かって言い返したのです。遊びを教えるつもりだった源兵衛と太助が、すっかり言い負かされてしまう。ここで幕となります。 「明烏」の面白さをまとめると、ポイントは2つあります。1つ目は、「うぶな誠実さが花魁を動かす」という逆説です。遊び慣れた男より、何も知らない真っすぐな若旦那のほうが、花魁・浦里の心を動かしてしまう。世慣れとは何か、純粋さとは何かを笑いの中に忍ばせています。2つ目は、オチの対称構造の鮮やかさです。源兵衛が時次郎を脅した台詞が、翌朝そのまま時次郎の口から返ってくる。この一点で噺全体が綺麗に結ばれます。実際の高座では、時次郎の変貌ぶりをどこまで段階的に見せるか、オチの台詞の間の取り方がどれだけ溜められているか、噺家によって大きく変わります。ぜひ音源や高座で、その緩急を味わってみてください。