らくだ

らくだ▶
滑稽噺

主役の男は、噺が始まったときにはすでに死んでいます。上方落語の大ネタ「らくだ」、ご存じですか。

主役の男は、噺が始まったときにはすでに死んでいます。上方落語の大ネタ「らくだ」、ご存じですか。

教訓

同じ「ひや」でも、場所が変われば意味が変わる

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古典落語「らくだ」。上方落語を代表する大ネタのひとつで、演じきるのに一時間近くかかることもある、噺家泣かせの大作です。タイトルの「らくだ」とは、長屋に住んでいた乱暴者のあだ名。本名は「馬」ともいわれますが、物語が始まったときにはすでに死んでいます。生きて登場する場面は一切ありません。 舞台は夏の大坂の長屋。主役は二人の生きた人間です。らくだの兄貴分で乱暴者の「手斧目の半次」と、気弱な紙屑屋の「久六」。この二人が一体どんな騒動を巻き起こすのか、そのあたりに注目しながら聴いてみてください。 タイトルが主人公の「あだ名」そのものというのも落語らしいところで、「らくだ」と呼ばれた男の存在が、その死後まで長屋全体を揺さぶるという構造になっています。噺の中で半次がらくだの死体に踊らせる、この「かんかんのう」という曲は、当時大流行していた歌と踊りです。中国から長崎経由で伝わり、江戸・大坂で誰もが知っている大ヒット曲になりました。それを死体に踊らせるというブラックな演出が、聴衆の笑いを一気に引き出しました。 江戸時代の葬儀は庶民にとって大きな負担でした。そこで頼りにされたのが、長屋の住人たちが少しずつかねを出し合う「香典」という相互扶助の仕組みです。噺の中で半次がおおやや長屋じゅうからかねを集めようとするのも、この香典の慣習を(かなり乱暴なやり方で)利用したものなのです。 夏の盛り、大坂の長屋の一室。ふぐの毒にあたった「らくだ」が、あっけなく息を引き取っていました。らくだといえば長屋では有名な暴れ者。まともに付き合う者もなく、誰にも看取られないまま、一人で逝ってしまったのです。 そこへ現れたのが兄貴分の手斧目の半次。らくだの亡骸を前に、半次は腕を組みました。弔いを出してやりたい。しかし金がない。どこから工面するか。ちょうどそのとき、路地の外から声が聞こえてきました。 「紙屑ぅ、買いまっせ」と声をかけながら路地を歩いてきたのが、屑屋の久六です。この久六、気は優しいが気も小さい。半次に腕をつかまれただけで、もう体が震えています。部屋の中を覗かせると、そこには転がったらくだの死体。久六、一目散に逃げようとします。 半次は久六をおおやのもとへ使いに出しました。「香典と酒を出さんと、死体を担いでかんかんのうを踊らせながら長屋じゅうを練り歩くぞ」と伝えろ、というのです。久六は震えながらおおやに伝えます。おおやは頭ごなしに断りました。すると半次は、本当にやります。 半次はらくだの亡骸を背後から抱き上げ、腕を引き、足を動かし、まるで人形のように操って踊らせはじめました。「かんかんのう、かんかんのう……」。骸骨が踊るような異様な光景に、おおやは腰を抜かさんばかり。酒と料理を用意すると即座にしろはたを上げました。 おおやから酒と料理が届くと、半次は久六にも飲ませました。「下戸でございます」と断る久六を、半次は有無を言わさず飲ませ続けます。すると一杯、二杯、三杯と進むうちに久六の顔がみるみる赤くなり、目つきが変わってきた。気がつけば久六がどんどん威張りだし、押していた半次の方がけおされていきます。 夜になり、二人はらくだの弔いのために動き出しました。棺桶を用意する金も時間もない。そこで八百屋から漬物樽を借り受け、死体をぎゅうぎゅう詰めにして蓋をしました。天秤棒に樽を担いだ二人は、千鳥足で焼き場へと向かいます。すっかり酔った二人の足元は、どこまでも頼りない。 橋を渡ったあたりで、古い漬物樽の底がひっそりと抜けていました。中のらくだの亡骸がするりと落ちてしまいましたが、酔いが回った二人はまったく気づきません。担いでいる樽が軽くなったことにも気づかないまま、ひたすら焼き場へ向かって歩き続けます。 橋のたもとに差しかかると、地面に誰かが倒れています。物乞いをしながら諸国を渡り歩く、願人坊主という僧でした。橋の下で酔い潰れてぐうぐう寝ていただけなのですが、酔った二人の目には死体にしか見えません。「ちょうどよかった」とばかりに、坊主を樽に詰め込んで蓋をしてしまいました。 ようやく焼き場にたどり着いた二人は、樽をどすんと地面に下ろしました。焼き場の男に手続きを済ませ、樽ごと火にかけてもらいます。二人はもはやへとへと。ふらふらしながらも、ようやく弔いが終わると胸をなで下ろしていました。 火がかかったとたん、樽の蓋が吹き飛びました。中から願人坊主が「あっつい!ここはどこじゃ!?」と飛び起きたのです。焼き場の男が叫びます。「焼き場だ!日本一の火屋だぞ!」。坊主、寝ぼけたまま一言。「……冷やでいいから、もう一杯くれ」。 「らくだ」のまとめです。ポイントはみっつあります。ひとつめは地口オチの鮮やかさ。焼き場を意味する「火屋」と、冷酒を意味する「冷や」。どちらも同じ「ひや」という発音で、この二つの言葉を一言でつなぐのが、江戸落語ゆずりの掛け言葉の妙です。坊主が寝ぼけたまま酒を所望するというアホさと、生死の境をひとくちで笑いに変える豪胆さ。これがかみがたに伝わって磨かれたオチの形です。ふたつめは立場の逆転という噺の骨格。最初は力で久六を押さえつけていた半次が、酒一本で久六にじわじわ押されていく。この変化をどこまで丁寧に、どこまで大胆に見せるかが噺家の腕の見せどころです。気弱な人間が豹変するまでの「ためと崩れ」に、ぜひ注目してください。みっつめは死体をまるごと笑いにする大らかさ。人が死んでいる。でも一切しめっぽくならない。これが「らくだ」という噺の根底に流れる江戸・かみがた庶民の美学です。実際の高座では、前半の脅しのくだりと後半の酒による逆転で色合いがまったく変わります。名人と言われる噺家ほど、その切り替えが絶妙です。ぜひ音源や高座で確かめてみてください。