ぞろぞろ

ぞろぞろ▶
滑稽噺

貧しい老夫婦が営む、稲荷の隣のちゃみせ。売り切れるたびに新しい草鞋が現れる——そんな奇跡があったら、あなたはどうしますか。

貧しい老夫婦が営む、稲荷の隣のちゃみせ。売り切れるたびに新しい草鞋が現れる——そんな奇跡があったら、あなたはどうしますか。

教訓

同じ「ぞろぞろ」でも動機しだいで幸運は厄介事に変わる

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古典落語「ぞろぞろ」。江戸の庶民が愛した滑稽噺のひとつで、信心の功徳と人間の欲をユーモラスに描いた演目です。ネタバレ覚悟で言えば、同じ「ぞろぞろ」という一語が、噺の前半と後半でまったく違う顔を見せます。 「ぞろぞろ」は江戸落語の演目で、成立の詳細な記録は残っていませんが、稲荷信仰が江戸庶民に広く根付いていた時代に生まれた噺と考えられています。江戸には至るところに稲荷の祠があり、商売繁盛を願う信仰は庶民の日常そのものでした。タイトル「ぞろぞろ」は、草鞋がとめどなく湧き出てくる様子から来ており、この一語が噺全体の仕掛けを担っています。注目してほしいのは「模倣」の構造です。前半で信心深い老夫婦に起きた奇跡を、後半で別の人物が打算的に真似ようとする——同じ神様に同じ願いをかけても、なぜ結果が違うのか。その答えが笑いとともに明かされます。 舞台は江戸のとある町外れ。荒れ果てたお稲荷様の祠の隣に、老夫婦が小さなちゃみせを構えています。草鞋や駄菓子を細々と売っていますが、商売はさっぱり。それでも爺さんと婆さんは、毎朝欠かさず祠を掃き清め、手を合わせ続けていました。「お稲荷様、今日もよろしくお願い申します」——信心の深さだけは誰にも負けない二人です。 ある日のこと、突然ざあっと雨が降り出しました。道はたちまちぬかるみ、行き場を失った町人たちが次々とちゃみせへ駆け込んできます。「雨宿りをさせてくれ!」「草鞋がすっかり泥だらけだ!」——静かだった店が、一気に人でごった返しました。爺さんも婆さんも、うれしいやら戸惑うやら。 客たちは道がぬかるんで草鞋がだめになったと言い、次々に草鞋を求めます。棚には何年も売れ残っていた草鞋がありましたが、それがあっという間に全部売り切れてしまいました。「これはお稲荷様のご利益に違いない! 明日はお神酒にあかのままでお礼をせねば!」と、爺さんは大喜びです。 「もう草鞋は売り切れで……」と断ろうとしたそのとき。天井の梁のあたりから、新しい草鞋がするりといっそく、垂れ下がってきたではありませんか。売れてはまたいっそく、売れてはまたいっそく——草鞋がぞろぞろと尽きることなく現れ続けます。みせじゅうが騒然となり、評判はたちまち江戸中に広まりました。 不思議な草鞋の評判を聞きつけ、客は引きも切らず。ちゃみせはみるみるだいはんじょうになりました。長年苦労を重ねてきた老夫婦は、たまったお金で荒れ果てていたお稲荷様のやしろを、立派に建て替えることができたのです。「ありがたや、ありがたや」——二人は涙ながらに手を合わせました。 この評判を耳にして、面白くない顔をしているのが近所の床屋の主人です。自分の店はいっこうに流行らない。「いいなぁ、あの爺さん婆さんは。うちも客の髭がどんどん伸びてくれりゃあ、そってもそっても儲かるのに……」と、打算たっぷりの願望を胸に膨らませました。 「よし、同じお稲荷様に頼んでみよう」。床屋の主人は打算を胸に、新しくなった稲荷のやしろへがんをかけました。ただし、その動機はちゃみせのじいさんとはまるで違います。長年の信心ではなく、いっそくとびに儲けたいという下心あってのお参りでした。さて、神様はその違いをどう受け取ったのでしょうか。 願をかけてから一週間ほど経ったころ、床屋に突然客が押し寄せてきました。「来た来た! さすがお稲荷様!」と大喜びで剃刀を手に取ります。ところが……。客の髭を剃り終えたと思ったら、顎からまた黒い髭がぞろぞろと伸びてくるではありませんか。 そっては伸び、そっては伸び——まるで終わりが見えません。草鞋がぞろぞろ出てきたように、今度は髭がぞろぞろ伸び続ける。客も床屋の主人もへとへとになって、いつまで経っても仕事が終わらない。だいはんじょうどころか、収拾のつかない地獄絵図となってしまいました。 ちゃみせの草鞋は、売れるたびに出てくる嬉しい「ぞろぞろ」。床屋の髭は、そるたびに伸びてくる終わらない「ぞろぞろ」。同じ「ぞろぞろ」でも、こうも違う。床屋の主人は天を仰いで呟いたことでしょう——「こんなはずじゃ、なかったのに……」。 「ぞろぞろ」のポイントは2つあります。1つ目は「見立て・地口オチの巧みさ」です。草鞋がぞろぞろと出てくる幸運の奇跡を、髭がぞろぞろと伸びてくる厄介事に見立てることで、同じ一語「ぞろぞろ」が全く異なる状況を指す二重の意味を持ちます。前半の奇跡が後半の笑いのタネになる——この反転の構造が、噺全体を鮮やかに締めくくるオチになっています。2つ目は「信心と打算の対比」です。毎日掃除とお参りを欠かさなかった老夫婦と、いっそくとびに儲けようとした床屋の主人。神様は同じでも、向き合い方がまるで違う。江戸の庶民はこの対比の中に、笑いと同時に「バチが当たった」という納得感を見出したのでしょう。高座では床屋の主人のあわてふためく様子や、ぞろぞろと伸びる髭の表現が演者の見せどころ。テンポの緩急で笑いの大きさがまるで変わる演目です。興味を持たれた方は、ぜひ実際の高座で「ぞろぞろ」を聴き比べてみてください。