替り目

替り目▶
滑稽噺

酔った亭主が起こす、ひと騒動。人力車の勘違いから、口が滑った本音まで……

酔った亭主が起こす、ひと騒動。人力車の勘違いから、口が滑った本音まで……

教訓

本音は、思わぬ場面で表れるもの

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古典落語『替り目』。夫婦の機微を描いた滑稽噺として、高座で今もよく演じられる演目です。作者は不詳ながら、酒好きの亭主と、それを支える女房のやり取りを軽妙に描いた噺として親しまれてきました。舞台は明治期の東京の下町。酔っぱらいの亭主と、しっかり者の女房。この二人がつくり出す笑いは、時代を超えて変わりません。 この噺には、聴きどころが二つあります。ひとつは、酔った亭主がふと漏らす女房への本音と、それを聞かれてしまう気まずさ。もうひとつは、最後に炸裂する「地口オチ」。銚子と、酔客の様子を表す「調子」を掛けた、江戸言葉ならではの洒落た締め方です。この二つを意識しながら聴いてみてください。 ある夜、したたかに酔った亭主に、くるまやが声をかけます。「近いからいいよ」と断る亭主でしたが、くるまやが「助けると思って乗ってください」としつこく頼むので、仕方なく乗ってやることにしました。ところがくるまやが動き出そうとした矢先、亭主は俥を止めさせ、目の前の家の戸を叩けと言いつけます。くるまやが言われた通り、戸を叩くと、中から出てきたのは——実はそこは、亭主自身の家だったのです。 出てきた女房は「まあ、また酔っ払って……すみませんねくるまやさん、おいくらですか」とくるまちんを払います。亭主は「助けると思ってと言うから乗ってやったんだ」とへらずぐちをたたきました。女房はくるまやを見送ると、亭主にはさっさと寝るように言いつけます。ところが亭主は我儘で、寝酒がなければ眠れないと言い出し、つまみが何もないと、女房を夜明かしのおでん屋へ買い出しに行かせてしまいます。 女房が出かける支度をしている間も、亭主のへらずぐちは止まりません。「鏡の前で何をやっている、夜なんだからその顔じゃ化粧したって無駄だ、さっさと行け、このおたふく」。女房は聞き流しながら、身支度を整えていきます。 女房が出て行ったと思い込んだ亭主は、急に口調が変わります。「へへっ、行ったな……しかし、こんな酔っ払いに付き合ってくれるのは、やっぱり女房だね。おれは口では悪く言うが、心の中ではいつもこうして、すみませんと手を合わせているんだ……」。酔いに任せた、飾らない本音でした。 ところが女房は、まだ家の中にいました。出かける支度をしながら、亭主のこの独り言をすっかり聞いてしまっていたのです。普段はへらずぐちばかりの亭主が、一人になったつもりでこぼした素直な言葉。それを聞いた女房の胸に、静かな驚きが広がります。 「何だ、まだいたのか」——亭主は女房の姿に気づき、ハッとします。すっかり油断して漏らした本音を聞かれてしまい、きまり悪そうに顔を赤らめました。さっきまでの照れくさい空気はどこへやら、あわてて話をごまかそうとします。この気まずさこそが、高座での笑いどころのひとつです。 ようやく女房は本当に出かけて行きました。一人になった亭主は手酌で一杯やろうとしますが、火を落としてしまっていて燗がつけられません。そこへ、夜鳴きのうどん屋が屋台を引いて通りかかります。亭主はさっそく呼び止め、酒の燗をつけさせることにしました。 うどん屋が「何か召し上がりませんか」とうどんを勧めると、亭主は「うどんなんてまぬけなものが食えるか」と、けんつくを食わせて追い返してしまいます。ちょうどおでんを買って戻ってきた女房は、その様子をすっかり見ていました。うどんを買ってもらえなかったうどん屋を、女房は気の毒に思います。 女房は何か買ってやろうと、うどん屋を呼び止めますが、うどん屋は気づきません。それを見た近所の者が、代わりに声をかけます。「おい、うどん屋。あすこでおかみさんが呼んでるぜ」。うどん屋は振り返り、「どこです……あ、あすこへは行かれません」と答えます。「なぜだ」と聞かれたうどん屋は、こう言いました。「ちょうどお銚子の替り目でございます」。そう言うと、うどん屋は足早に立ち去っていきました。 『替り目』を振り返ると、実は冒頭の俥屋の一件が伏線になっていたことに気づきます。「近いから要らない」と言いながら結局乗せられ、減らず口をたたいていた亭主。その強がりこそが、後半の「素直になれない一面」そのものだったのです。だからこそ、酔った勢いでふと漏れた女房への本音が、より際立って聞こえてきます。そして最後は、「銚子」と酔客の「調子」を重ねた地口オチ。表向きは酒器を替えるタイミングという意味ですが、うどん屋の本音は「また性懲りもなく酒の相手をさせられてはたまらない」という、やんわりとした断り文句なのです。減らず口で始まり、地口で締めくくる——この一貫した構えこそが、『替り目』という噺の完成度なのです。実際に高座で聴くときは、ぜひ冒頭の俥屋のくだりを思い出しながら味わってみてください。