応挙の幽霊

応挙の幽霊▶
滑稽噺

幽霊が毎晩やってくる話、聞いたことありますか

幽霊が毎晩やってくる話、聞いたことありますか

教訓

怖さも笑いに変わる

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古典落語の演目、「応挙の幽霊」。江戸の庶民が愛した滑稽噺のなかでも、とりわけユニークな一席です。題材は、実在した江戸時代の絵師・円山応挙が描いたとされる幽霊画。足のない幽霊を描いた先駆けとして名高い、あの応挙です。幽霊が登場する噺でありながら、恐怖は一切ありません。どうぞ、肩の力を抜いてお聴きください。 落語の幽霊噺といえば怪談のイメージがありますが、この演目はまったく違います。幽霊が怖いどころか、酒好きで人懐っこく、しまいには掛け軸の中で眠りこけてしまう。江戸の笑いの本質は、こういう「ちょっと情けない存在」への愛着にあるんですね。怪談の季節に演じられることも多いですが、笑って終わる一席です。 この噺の最大の面白さは、「幽霊」という怖いはずの存在が、まったく逆の方向に転がっていく構造にあります。掛け軸から抜け出してくる、という演出はたしかに怪談の文法です。しかしその幽霊がやることといえば、酒をねだり、しなだれかかり、朝まで飲んで寝入ってしまう。観客は怖がる準備をしているのに、笑わされてしまう。この「期待の裏切り」こそ、落語の滑稽噺の真骨頂なんです。 もうひとつ注目してほしいのが、円山応挙という実在の名前を使っている点です。応挙は江戸時代を代表する絵師で、足のない幽霊画を描いた人物として広く知られていました。骨董屋がその権威の名を借りて高値をつける、というのは江戸の商売の実態そのもの。本当に応挙の作かどうかは分からない、でも客は気に入って買っていく——そのいい加減さもまた、この噺の味わいです。オチの「幽霊が朝まで寝ている」という締めに向かって、どう転がっていくか、ぜひ楽しみながら聴いてください。 舞台は江戸の書画骨董屋。主人が店にやってきた客に、一幅の掛け軸を広げて見せています。「これはね、円山応挙の幽霊画と思うんですがね」と、いかにも自信ありげな口ぶり。本当に応挙の作かどうか、主人自身もよく分かっていないのですが、そこは商売というもの。堂々とねをつけます。 ところが客は、作者の真偽などまるで気にしません。「応挙でも辣韭でもいい、気に入った。明日届けてくれ」と、その場でさっさと内金を置いて帰ってしまいます。主人は内心で大喜び。仕入れ値の十倍以上の値段で売れたのですから、これはおおあきないです。 「これだから、この商売はやめられねえ」と、主人は大満悦。そしてこの幸運は掛け軸の幽霊様のご利益に違いないと、その晩、鰻と酒を掛け軸の前にお供えするのです。江戸っ子らしい、ちゃっかりした信心です。 するとその晩のこと。あたりがすうっと薄暗くなり、どこからか涼しい風が吹き込んできます。そして遠くから三味線の音がかすかに聞こえてくる。主人は首をかしげます。いったい何ごとでしょうか。 見ると、なんと掛け軸の中から、すうっと女の幽霊が抜け出してきたではありませんか。足はなく、ふわりと宙に浮いている。しかし表情はいたって穏やか。怖いどころか、どこかほんわかしています。主人はあんぐりと口を開けたまま、声も出せません。 幽霊はにこにこしながら主人のそばに寄ってきて、こう言うんです。「こんばんは、わたし幽霊です。久しぶりにお酒と鰻をいただいて、うれしくて……もう一杯ちょうだいな」。お酒を、ねだっています。怖がる暇もなく、主人は訳も分からないまま、おそるおそる盃を差し出します。 それからというもの、主人が毎晩お供えをするたびに、幽霊は掛け軸からすうっと抜け出してきては酒をせがむようになりました。最初はおっかなびっくりだった主人も、次第に慣れてくる。いつしか幽霊はすっかり馴染みになり、二人で仲良く一杯やる、という奇妙な夜が続くのです。 お酒が進むにつれて、幽霊はどんどん上機嫌になっていきます。そのうちにはもう、主人にしなだれかかったりする始末。幽霊にしなだれかかられた主人の、なんとも困惑した顔が目に浮かぶようです。怖くはないのですが、どう扱ったらいいのか分からない。 しかし夜が明ける頃になると、幽霊はすうっと掛け軸の中へ戻っていきます。そして今度は絵の中で、ぐっすり寝入ってしまうのです。お酒をたっぷり飲んで、満足したのでしょうか。主人も疲れ果てて、朝の光の中でぽかんとしています。 翌朝、日が高く昇っても、掛け軸の中の幽霊はまだ眠りこけています。主人は呆れて、掛け軸に向かってこう声をかけます。「おい、幽霊、いつまで寝てるんだ」。これがこの噺のオチ。怖い幽霊のはずが、二日酔いで昼まで寝ている。この情けなさが、なんともいえない笑いを生んでいます。 「応挙の幽霊」は、幽霊という怖い題材を使いながら、笑いに転じる落語の底力を存分に見せてくれる一席です。酒好きで人懐っこく、朝まで飲んで寝入ってしまう幽霊——これはもはや「怖い存在」ではなく、どこか親しみやすい隣人のよう。江戸の庶民が幽霊にすら笑いと愛着をみいだしていた、その感覚がこの噺には詰まっています。原作の高座に触れると、演者ごとの幽霊の個性の違いも楽しめます。ぜひ聴き比べてみてください。